何世紀にもわたる時を経て、フィンランドは変貌を遂げました。まとまりのなかった部族の集まりは、スウェーデンとロシアという大国の間で揺れ動く一つの国家へと姿を変えました。町は成長し、交易路は拡大し、社会は近代化しました。この激動の変化を通じて、サウナは単に存続しただけでなく、フィンランド人のアイデンティティの礎石としての地位を固めながら、時代に適応していったのです。
煙突がすべてを変えた
伝統的な「サヴサウナ」(スモークサウナ)がそのロマンと歴史的な魅力を持っていた一方で、大きな技術的飛躍がその体験を革命的に変えました。それは煙突の登場です。20世紀初頭に普及し始めた、煙突付きの金属製ストーブの導入により、継続的な加熱が可能になりました。
この技術革新は、まさにゲームチェンジャーでした。入浴者はもはや煙が晴れるのを待つ必要がなくなりました。サウナはより迅速に温めることができ、長時間その暖かさを保つことが可能になったのです。また、サヴサウナのような煤(すす)で覆われた壁もなく、より「清潔」になりました。この新しく便利な設計は、特にフィンランドが工業化を始めるにつれて、サウナを日常生活にさらに不可欠なものにしました。サウナはもはや週に一度の入浴のためだけのものではなく、必要な時にいつでも準備ができるようになったのです。
公衆サウナの隆盛
フィンランド人が地方の農場から急成長する都市部へと移り住むにつれて、彼らは必ずしもプライベートサウナを一緒に持っていくことはできませんでした。これが公衆サウナ(フィンランド語で「ユレイネン・サウナ」)の黄金時代へと繋がりました。これらの施設は、都市の中心部で不可欠な社交機関となったのです。
そこは工場労働者、ビジネスマン、芸術家といった、あらゆる階層の人々が集う「るつぼ」でした。その民主的な熱の中では、社会的地位は服とともにロッカールームに置き去りにされました。ここでは情報が交換され、商談がまとまり、コミュニティの絆が強められました。公衆サウナは街の「リビングルーム」であり、社会的なつながりと共有された儀式の場だったのです。
「シス」とアイデンティティの象徴
紛争の時代ほど、サウナの役割が重要だったことはないでしょう。過酷な冬戦争(1939-1940)を含め、20世紀の戦争を通じて、サウナは不可欠な存在でした。移動式のテントサウナが前線近くに設置され、兵士たちに心身の安らぎという極めて重要な時間を提供しました。そこは戦闘の汚れを洗い流し、病気を防ぐために衣服のシラミを駆除し、傷の手当てをする場所でした。
さらに重要なことに、それは兵士たちの士気を大いに高めるものでした。故郷を具体的に感じられる場所であり、自分たちが守るために戦っている文化を思い出させるものでした。サウナはフィンランドの「シス」と同義になりました。それは、逆境に立ち向かう、あのフィンランド特有の、不屈の精神、回復力、そして勇気の概念です。サウナの中で、兵士は前線に戻る前に、束の間、人間性を取り戻すことができたのです。
フィンランドが独立への道を歩み、国民的アイデンティティを築き上げる中で、サウナは人々を一つにする強力な象徴として存在しました。それは、どこに住んでいようとも、現代のフィンランド人をその古代のルーツへと繋ぐ伝統だったのです。